人と精神
Tel qu'en Lui-même enfin l'éternité le change,
Stéphane Mallarmé
科学の発展は、同時に文学の衰退でもあった。19世紀末、ギュスターヴ・ランソンは、科学的な文学史を樹立しようとする立場から次のように述べた。
科学がほとんど存在せず、学理が少しも存在しなかった古代には、数学を除けばすべてが文学であった。我々の時代には、それぞれの科学が方法をもって武装するにつれ、科学は文学から逃れてゆく。ゆえに今日的な科学の誕生は、その研究対象が詩的・小説的発明の、あるいは単なる雄弁な論述の素材ではなくなる日に位置づけられよう1。
文学の愛好家は、皮肉を込めて頷くであろう。科学的認識が浸透するにつれ、人々は、修辞を凝らした文章が描き出す理想より、実証的真実や即物的現実を信じるようになった。かつては、歴史学と歴史文学の間に明確な境界線は引かれていなかった。ヘロドトスやタキトゥスは、歴史家としてのみならず名文家として尊敬され、修辞学の規範として学ばれた。近代歴史学が成立する19世紀にあっても、潤飾を凝らした、必ずしも実証的でない叙述形式をとる歴史家は珍しくなかった。しかしそのような文彩に富む歴史学は、次第に史料に基づく科学的歴史学に取って代わられ、今日では文学の一分野とみなされている。バラントやティエリ、ミシュレも、もはやウォルター・スコットと同じ扱いである。
さらには、修辞学的真実にとって大学に残された最後の逃避地であった文学部さえ、今や科学の教理に支配されつつある。テーヌをはじめとする論客により、非科学的な文学研究は早くも19世紀から非難を浴びせられてきた。その後、新批評からポスト構造主義に至る長い嵐を経た末に、遂に文学研究は実証主義を新たな拠りどころとするに至った。主観を排しえない作品解釈は前時代の遺物とみなされ、明確な典拠に基づく生成研究のほか、作家の実人生を問題とする伝記的研究が盛んになった。
今日アカデミズムの世界では、勤勉な研究者たちのたゆまぬ努力により、歴史の闇に覆われていた作家の素顔が日々明らかにされている。父母の本棚にあった本、高校で読まされた教科書、大学での履修科目、恋人と交わした手紙の数々、放蕩によりこしらえた借金の一覧、実家に金を無心する手紙――作家にまつわるあらゆる記録、あらゆる資料が白日の下に晒され、編年体で整理され、浩瀚な伝記が刊行されている。今後も研究は続き、伝記はますます分厚くなるであろう。年々情報を蓄え肥え太る伝記は、いつの日か人生の厚みに迫り、作家の本質を明かすのであろうか――呆れた楽観主義である。仮に天才たちの人生について、知られうるすべてのことが明らかになったとしても、彼らの内的生活は少しも明らかにはなるまい。
人物とその精神の混同――これこそが、現代の根本的な錯誤である。
* * *
小林秀雄は、文献が示す諸々の事実より、直観により把握される観念的な作者像に重きを置いた。1936年に彼が正宗白鳥と交わした「思想と実生活」論争は、このような姿勢を鮮やかに浮かび上がらせた。
発端は、白鳥が読売新聞に寄せた文章であった。
廿五年前、トルストイが家出して、田舍の停車場で病死した報道が日本に傳つた時、人生に對する抽象的煩悶に堪へず、救濟を求めるための旅に上つたといふ表面的事實を、日本の文壇人はそのまゝに信じて、甘つたれた感動を起したりしたのだが、實際は妻君を怖がつて逃げたのであつた。人生救濟の本家のやうに世界の識者に信賴されてゐたトルストイが、山の神を恐れ、世を恐れ、おどおどと家を拔け出て、孤往獨邁の旅に出て、つひに野垂れ死した徑路を日記で熟讀すると、悲壯でもあり滑稽でもあり、人生の眞相を鏡に掛けて見る如くである。あゝ、我が敬愛するトルストイ翁!2
白鳥は、偉大な文豪が凡俗な理由で家出を敢行し野垂れ死んだという事実に、人間存在の悲哀を見た。しかしこの哀嘆が小林の癇に障った。彼の目には、白鳥がトルストイを矮小化しているように映ったのである。小林は、件の日記を読んだうえで、それでもなお「僕は信じない」と言い張った。
あゝ、我が敬愛するトルストイ翁! 貴方は果して山の神なんかを怖れたか。僕は信じない。彼は確かに怖れた、日記を讀んでみよ。そんな言葉を僕は信じないのである3。
細君への恐怖が記された日記は、この老小説家が妻を恐れていたことの確たる証拠である。ところが同じその日記が、この事実を否認する根拠にもなると小林は言う。この逆説には前提がある。同じ文章のなかで、彼はフローベールの書簡を読んだ感想を述べている。
人間とは何物でもない、作品がすべてだ。そして書簡を書けば、書簡がすべてだ。僕等は書簡中を探して、どこにも實在のフロオベル氏の姿に出會ふ事が出來ない。クロワッセの書齋から、ジョルジュ・サンドに手紙を書いたといふ事實がわかるだけである。渦卷いてゐるものは、文學の夢だけだ。もはや、人間の手で書かれた書簡とは言ひ難い。何んといふ强靭な作家の顏か。而も訓練によつて假構されたこの第二の自我が、鮮血淋漓たるは何故だらう4。
フローベールにとって、作品こそがすべてであり、現実の自我など存在しないに等しかった。小林は、この見方に共感を示したうえで、小説作品のみならず書簡にも同じ見方を適用している。彼によれば、書簡から読み取れるフローベール像は、この作家の現実の姿とは必ずしも一致しない。読者が見出す作者像はテクストの産物であり、作者が創り出した「第二の自我」である。この虚構の自我は、フローベールやトルストイのような一流の作家の手になるものである場合、現実を凌駕するほどの強度を獲得する。彫琢され抜いた自画像は、ちょうど優れた彫刻作品がモデルとなった生身の人間を忘れさせるように、現実を離れ、独立した存在となる。そのような存在を現実に繋ぎとめようとするのは、無粋であるばかりか、冒涜にほかならない。それゆえ小林は、生身の作者自身を、テクストが喚起する作者像と同一視しない。作家の愚行や醜態が客観的証拠により示されようとも、作品が喚起する「夢」を信じ続けるのが、彼の思う正当な文学的態度である。
論争において小林が唱えた以上の教説は、フローベールによりもたらされた仮初の思想などではなく、ましてやトルストイへの崇拝を正当化するための邪な論理では決してない。人と作品をめぐるこのような見方は、小林の思想の根幹をなしている。早くも「批評家失格I」には、「作家の私生活の端くれを取り上げて、眞顏になつてものを言ふ」批評家を揶揄する一節5が見受けられるが、この思想が揺るぎない強度を獲得するのは後年のことである。「思想と実生活」論争を経て、さらに6年後、彼は「無常といふ事」を著した。そこで述べられているのは、静止した過去の美しさである。現代人は、歴史を出来事の継起とみなす。彼らにとって、歴史とは事実の羅列にほかならない。現代的・科学的な歴史学が前提とするのも、このような歴史観であろう。ところが、それとは異なる歴史があると小林は言う。巌のごとく堅固にして動じない、不動の歴史である。
[…]歷史といふものは、見れば見るほど動かし難い形と映つて來るばかりであつた。新しい解釋なぞでびくともするものではない、そんなものにしてやられる樣な脆弱なものではない、さういふ事をいよいよ合點して、歷史はいよいよ美しく感じられた6。
「解釋」を、すなわち事実をどのように意味づけるかといったことを考えているかぎりでは、辿りつけない歴史の姿がある。事実を捏ねくりまわすのを止め、ただ愚直に歴史と対峙するとき、動かしがたい過去が、疑う余地なき明白さで、おのずと浮かび上がってくると小林は言う。このような、直観により把握され、しかしながら厳然とした確かさを有する過去を、彼は終生信じ続けた。この思想は、のちに対象を「物」とみなす批評方法に結実し、「私の人生觀」において表明されるであろう。
以上のような歴史観に立つとき、人生への見方は反転する。生涯は、生を謳歌するつかの間のひとときではもはやなくなり、死へと向かう切迫した歩みとなる。ただしその死は、恐るべきものでは全くなく、むしろ目指すべき目的地である。この終着点に至ったとき、ひとは遂におのれの完成を見る。川端康成が語ったという次の言葉を、小林は共感を込めて引用している。
生きてゐる人間などといふものは、どうも仕方のない代物だな。何を考へてゐるのやら、何を言ひ出すのやら、仕出來すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解つた例しがあつたのか。鑑賞にも觀察にも堪へない。其處に行くと死んでしまつた人間といふものは大したものだ。何故、あゝはつきりしつかりとして來るんだらう。まさに人間の形をしてゐるよ。してみると、生きてゐる人間とは、人間になりつゝある一種の動物かな7
川端にとって、生きた人間は皆等しく未完成である。実生活上の諸条件や一時的な気の緩みは、ひとを愚行に駆り立てる。教養人が妄言を吐き、聖者が俗愛に溺れる。この世に生きる人々の振る舞いは、必ずしもそのひとの本質に合致するものではない。そのような愚行が奏でる不協和音は、そのひとの本性を見定めようとする際、厄介な雑音となる。この雑音が静まり、真に聞こえるべき精神の音楽が静寂のうちに鳴り響くのは、彼の肉体が朽ち果てた後のことである。このような、死により純化され固定された人間像、精神と完璧に一致した人間の姿こそ、文学が描くにふさわしい対象である。
もっとも、他者を描くことばかりが作家の仕事ではない。文学作品は作者自身の精神の反映でもあり、ある意味でおのれの自画像である。ゆえに作家は、自らの死を目指して筆を進める。死の先に、より完璧な自我を築き上げようとする。かつて論争の只中、小林は次のように高らかに宣言した。
あらゆる思想は實生活から生れる。併し生れて育つた思想が遂に實生活に訣別する時が來なかつたならば、凡そ思想といふものに何んの力があるか。大作家が現實の私生活に於いて死に、假構された作家の顏に於いて更生するのはその時だ8。
作家は観念の生に憧れる。読者の脳裏において「思想」となり、真の姿で再生することを彼らは夢見、それを実現する作品を著そうとする。死すべき運命に抗うこの闘争が実を結んだ暁には、彼らの精神は、観念上の動かしがたい墓標となり、その後の歴史のなかに永遠に生き続けるであろう。同時に、それに比すれば不完全であり、ともすれば余計な愚事をしでかしかねない現世の現身は、さながら抜け殻のような、本質を欠く自己の似姿に成り下がるであろう。作家の死はまさに羽化である。蛹の醜さにより蝶の美をけなすとすれば、的外れと言うほかない。
* * *
アリストテレスいわく、歴史は「実際に起こったこと」を語るのに対し、悲劇は「起こりうること」を語る9。文学が描き出すのは、可能態としての偉人像、現実を離れ、神話の次元に引き上げられた〈彼自身〉である。その姿は、現実がもたらす様々な不都合を免れ、純粋な観念と化しているがために、歴史書が示す人物像よりも一層正しく、一層尊い。小林にかぎらず、文学と真摯に向き合う者であれば、誰もが認める真理である。
もし文学が、虚構であるがゆえに一層真実であるというこの逆理を手放したとすれば、一体文学に何が残るというのか。ランソンのいう「今日的な科学」が文学研究を征服し尽くした暁には、文学研究は遂に崩壊し、その残骸は歴史学や書誌学に併合されるであろう。
打ち寄せる実証主義の波は依然として激しい。大学の防波堤はもはや突破されたも同然である。「科学がほとんど存在せず、学理が少しも存在しなかった古代には、数学を除けばすべてが文学であった」――いずれは文学も、錬金術や占星術と同様、いかがわしい前時代の似非学問とみなされるに違いない。もし今後も文学の伝統が続いてゆくとすれば、その担い手となりうるのは、アカデミズムの外に散らばる孤独な星々である。
Gustave Lanson, « La littérature et la science », dans Hommes et livres, Paris, Lecène, Oudin et Cie, 1895, p. 350. ↩︎
正宗白鳥「トルストイについて」、『正宗白鳥全集』、東京:新潮社、1965-1968年、第7巻、287頁。 ↩︎
小林秀雄「作家の顏」、『小林秀雄全集』、東京:新潮社、2002-2010年、第4巻、15頁。 ↩︎
同書、13頁。 ↩︎
小林秀雄「批評家失格I」、『小林秀雄全集』、東京:新潮社、2002-2010年、第1巻、409頁。 ↩︎
小林秀雄「無常といふ事」、『小林秀雄全集』、東京:新潮社、2002-2010年、第7巻、358-359頁。 ↩︎
同書、358-359頁。 ↩︎
小林秀雄「作家の顏」、『小林秀雄全集』、東京:新潮社、2002-2010年、第4巻、15頁。 ↩︎
アリストテレス『詩学』、『アリストテレス全集』、東京:岩波書店、2013-2020年、第18巻、507頁。 ↩︎